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Channel: 高山清洲・世界平和 人類みんな兄弟
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オスプレイの飛行訓練ルートには、多くの水源があるが、水源の汚染が目的か?

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オスプレイの真の目的と、その用途は?

ヘリコプターは垂直離着陸・ホバリング(空中停止)・超低空での地形追従飛行ができるが、速度が遅くまた航続距離も短い欠点がある。対して通常の固定翼機は高速移動や航続距離の面では優れているものの、離着陸のために2,000m〜3,000m以上の長い滑走路が必須な上、垂直離着陸もホバリングも超低空での地形追従飛行もできなかった。

もしヘリコプターの利点である垂直離着陸・ホバリング・超低空での地形追従飛行をこなしつつ、通常の固定翼機のように高速移動かつ長い航続距離が可能ならば、それは戦略上非常に有用なことであり、このことからアメリカ軍第二次世界大戦直後から両者の利点を併せ持つ航空機を求めていた。

XV-3 開発計画

V-22の2代前にあたる実験機 "XV-3" は、アメリカ陸軍空軍共同で進めていた「転換航空機計画」に米ベル社が加わって開発された。ベル社では1940年代からティルトロータ方式の航空機を研究しており、この成果が3つの設計案となって提示され、この内の1案が採用されて開発が進められた。

1955年8月11日にXV-3は初めてホバリングを行い、1956年7月11日にプロップ・ローターを傾けての飛行に成功した。XV-3はエンジン部は固定でローター軸部分だけが傾くデザインになっていた。XV-3は計250回以上の合計125時間の飛行を行い、最大高度3,570m、最大水平飛行速度115ktを記録した。本機は操縦性が悪く、固定翼機モードでの機動を行うとプロップ・ローターが激しいフラッピングを起こすなど、直ちに実用化できる状況ではなかった。

XV-15 開発計画

XV-3での研究は結局、実機の生産へと結びつかなかったが、1971年にアメリカ陸軍とNASAが共同で「垂直および短距離離着陸機研究」によってティルトローター機の研究を開始し、米ベル社ではティルトローター式の "Model 300" 開発案を提示して採用され、1973年4月にはそれに若干改良を加えた "Model 301" が「ティルトローター研究機」(TRRA)という名称となって "XV-15" の製造計画が決定された。

XV-15は1977年5月3日に初めてホバリングに成功し、1979年5月5日にはエンジンとローターを前方に5度だけ傾けての飛行に成功した。1979年7月24日には完全に前方の水平方向に傾けての飛行に成功した。

JVX 開発計画

1981年12月にアレクサンダー・ヘイグ国務長官から、国防総省が陸軍、海軍、海兵隊、空軍という全軍が使用する航空機を開発すると発表され、1982年12月には、先進の垂直離着陸可能な航空機とする統合軍運用要求 (JSOR) として提示された。これに基づいて4軍共同の「統合垂直離着陸研究」 (JVX, Joint-service Vertical take-off/landing eXperimental) という名称の計画で新型機の開発が始められた。

JVXはヘリコプターの特性と固定翼機の性能を持ち合わせる航空機の開発計画であり、必ずしもティルトローター機で無くとも良かったが、当時はティルトローター方式以外の選択肢は現実的では無かった。当初は陸軍を中心とした計画であったが、後に4軍の要求を統合し海軍の主導で進めることとなった。

1982年12月に初期設計のための提案要求 (RFP) が提示され、アエロスパシアルベルボーイング・バートルグラマンロッキードウエストランドが関心を示した。ティルトローターの実験機を以前にも開発していたベルと、CH-47などの大型ヘリを開発していたボーイング・バートルがパートナーシップを結び、1985年ベルXV-15をベースとする設計案を提出、最終的に提出されたのはこの1件だけでありのまま承認されることとなった。

1985年にはJVXで開発する機体の名称が "V-22 Osprey"(オスプレイ)と決定され、米海兵隊向けをMV-22、米空軍向けをCV-22とした。

航空母艦(CV)との重複を避けたため、本来の用途とは名称が反対となっている。

開発の遅れ

1986年5月2日には全規模開発(FSD)が認められ、6機のMV-22試作機が製造されることとなった。開発は電子機器や胴体部分をボーイング・バートルが、ナセルや駆動系を含む主翼部分と尾翼部分をベルが担当した。1・3・6号機(その後予算削減で6号機は中止された)がベル、2・4・5号機がボーイング・バートルで組み立てられることとなった。

初飛行は1989年3月19日であった。当初は1988年に初飛行を行い、1991年頃に量産型の引渡しが予定されていたが、SDI計画や先進戦術戦闘機計画 (ATF)(後のF-22)などに比べ優先度が低く、予算の削減が行われた影響で計画が遅れた。

1989年12月には、国防長官であったディック・チェイニーが予算削減の一環として開発の中止を発表するが、その後の審査の結果、計画は続行されることとなった。その後何度か計画の中断が予定されたが結局中止となることはなかった。

量産の決定

試作機段階では2回、重大な事故もあった(後述)が、技術的問題はほとんど解決されたとの結論に至っており[5]、V-22は1994年に量産が認められた。軽量化や製造の効率化などの製造費用の削減を含む再設計が行われ、1995年量産試作機(EMD)が4機製造された。最初の7号機の初飛行は1997年2月5日に行われた。

1997年4月には低率初期生産(LRIP)が承認され、まず5機の生産が決定し、2000年度までにさらに25機の生産が認められた。1999年4月には量産初号機が初飛行し、2000年までには艦上運用試験などが実施され、空軍仕様のCV-22BもEMD7号機と9号機を改修して試作試験が開始された。

機体 回転翼とエンジン 翼端のエンジンとプロップ・ローター 夜間作戦中に給油しているオスプレイ

大きな3枚の「プロップ・ローター」(Prop-roter)と呼ばれる回転翼がエンジンと共に固定翼の両端に備わっている。このプロップ・ローターを駆動するターボプロップ式ジェットエンジンは、減速ギヤや補機などと共にエンジンナセル内に収められ、固定翼の両端に取り付けられている。このポッド状のエンジンナセルとプロップローターは一体となって、固定翼内端部のティルト軸ギヤボックス(TGAB)での油圧機構によって前方から上方へ向きを変更でき、この全体が「ティルトローター・システム」と呼ばれる。左右のTGABは主翼内のシャフトで連接されており、左右共に角度が同調するようになっている。TGABによる角度変更は毎秒8度で動くため、90度の変更には11秒程度かかる。

左右のエンジンは片発停止となってもすぐには機体が墜落しないように、左右の駆動出力軸が固定翼内のクロスシャフトで連結されており、最大定格出力4,586kWであるところを1基だけでの飛行時には短時間ながら緊急時最大出力5,093kWを得ることができる。エンジン吸気口にはEAPS(エンジン空気/粒子セパレータ)が、排気口にはIRサプレッサーが備わっている。

直径11.61mのプロップローターの3枚のブレードは、ブレード長が4.90m、弦長は付け根部で87.1cm、先端部で66.9cmであり、42度の捻り下げが付いている。この回転翼は長いために、地上に降着した状態でローターを前方に向けて回転させるとブレード先端が地面に接触してしまうので、保守時のような特定の状態を除けば地上で固定翼航空機モードの角度までティルトすることは避けられる。プロップローターはピッチ可変式のハブを持つ。

プロップローターは互いに逆回転するため、カウンタートルクが打ち消しあう。地上駐機時の占有スペースを小さくするために、ローターのハブが定位置に止まり、ブレードが自動で折り畳めるようになっている。同様の機能を持つ他のヘリコプターと異なり、左右各2枚のブレードはハブより少し離れた位置で折れ曲がる。残り左右各1枚のブレードは折り畳み機構を持っていない。つまり、折り畳み可能な2枚のブレードは、折り畳み不可な1枚に沿うよう折り畳まれる。

回転円盤面積(片側): 105.36m2 固定翼 固定翼機状態で飛行するオスプレイ 後部ランプから展開する海兵隊員

固定翼機での主翼に相当する高翼配置の固定主翼はわずかな上反角といくぶん前進翼である点を除けば単純な矩形翼であり、地上駐機時の占有スペースを小さくするために、中央取り付け部を中心に右方向へ90度回転するようになっている。ブレードを内側に折り畳みナセルも水平に倒した状態で右に90度回転するため、ローター半径などをそのまま加えた通常の幅25.78m、長さ17.48m、高さ6.73mから、幅5.77m、長さ19.20m、高さ5.56mにまで小さくできる。

主翼後端には内外に2分割された広いフラッペロンが付いており、航空機モードでの操縦翼面として機能すると同時に、ヘリコプター・モードでは垂直下方へ大きく折れ曲がることで、(回転翼のダウンウオッシュを遮る)固定翼の面積を減じるようになっている。主翼内には片側4個に分かれた燃料タンクが収められ、クロスシャフトやTGAB用のリンク、それに配管類が走っている。

尾翼はテールブームの先に1枚の水平尾翼とその左右に2枚の垂直尾翼がH型に取り付けられており、それぞれには水平安定板と垂直安定板の後端部に動翼としてエレベータとラダーが付いている。

主翼面積(フラッペロン、中央翼部分を含む左右合計): 35.49m2 フラッペロン面積(左右合計): 8.25m2 垂直安定板面積(左右合計): 21.63m2 ラダー面積(左右合計): 3.27m2 水平安定板面積(合計): 8.22m2 エレベータ面積(合計): 4.79m2 燃料タンク

固有の燃料タンクは、主翼内に左右各4個と降着装置のあるスポンソン前部に左右各1個の計10個により、6,513リットルの容量がある[6]。これらは自己防漏対策が施されており12.7mmの装甲貫通弾までは燃料漏れを起こさない。

また、キャビン内にMATを搭載することで搭載燃料を増やすことができる。空中で燃料を捨てる必要が生じれば、右主脚部のベント口から毎分303リットルの割合で空中投棄できる。

降着装置

降着装置は前脚式の3脚すべてが2輪横並びのタイヤを持ち、油圧による完全引込式になっている。左右に各75度まで操向できる前脚は、後方へ畳んで格納され、胴体左右2本の主脚は前方へ畳んでスポンソン内に格納される。油圧が失われれば窒素ボトルによって19.3MPaの圧力で脚下げを行う。各脚柱には通常時で3.7m/secまで、交換修理を受容する前提でのクラッシュランディング時には7.3m/secまでの着地衝撃から機体を守る衝撃緩衝装置が組み込まれている。

ホイールトラック: 4.64m ホイールベース: 7.62m。

 

 

オスプレイはケムトレイル撒布機

遠隔霊視と宇宙のネットワーク(Ameblo版)
遠隔霊視と宇宙のネットワーク(Ameblo版)
遠隔霊視と宇宙のネットワーク(Ameblo版)

関東以西で、ケムトレイル激撒布だったようです。衛星写真を見てもその酷さ
がよくわかります。

オスプレイの異様に大きなプロペラは、噴霧した化学物質を拡散させるためのものだったのです!


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