アメリカのたくらみで、日本国は再び戦争をしてはならない!!
戦後73年もアメリカは、日本国を占領して日本国から「富」を略奪していますが、もうそろそろ自由にして頂かねばなりません!!
性暴力の被害を何度も目にした小林さんの記憶は自分達が被害者であるという事に留まりません。
「朝鮮の方っていうのは植民地になった為、日本人は第一等皇民って言ったんですよね、ほいで朝鮮の人は第二皇民であると。であとの国民は第三等皇民って言ってね、もう虫けらみたいな扱いだったんですよね。」
多くの差別がありました。配給制度では一等皇民の日本人には米が、二等皇民の朝鮮人には米と雑穀のコーリャンが半々、三等とされた満州人などにはコーリャンだけだったと言います。
日本語を教育するなど現地の人々を日本人化する為に皇民化政策も進められました。そして敗戦。支配する側に立っていた小林さんは、
「棒で叩くんですよ、日本人ちゅうのが分かったら。ちょっと恥ずかしいですけどね、頭叩かれて、、(陥没した所を触らせる)随分叩かれたんですよ、日本人の為に僕らこんな苦労しているこんな貧乏せないけんちゅう事で、殺されるんじゃないかと思うほどね、殴られるんですよ。」
頭の形が変わるほど顔中に傷跡が残るほど、現地の子供から度重なる暴力を受けました。しかしそこで初めて日本がしてきた支配とはどういう事なのか、子供心に考えたのでした。
国内最大の引き上げ港、博多。ここにも139万人が上陸しました。
博多港では多くの特殊婦人達が本土上陸を目の前にして命を絶ちました。
金谷美沙子氏「あの、若い女性の方たちがね、海に飛び込んだって話をね、やっとこさ故郷に帰った。でも自分が望んでいない子が宿ってる、、」
博多から20キロ程離れた二日市では毎年水子供養祭が行われます。法的には許されていない堕胎・中絶が極秘に行われていたのです。
二日市保養所
人道的立場から女性達を救う為、終戦の翌年、引き揚げ援護をする医師や関係者によって自発的につくられました。
堕胎は違法行為でしたが、国も黙認し協力していました。手術にあたったのは2人の医師と10人の看護婦達です。
報告書によると望まぬ子を宿した妊娠に不法妊娠とし、堕胎は妊娠後期の8か月や9ヶ月になっても行われていました。
青坂寿子さん(90歳)。人助けが信条で72歳まで看護婦を続けました。二日市保養所の堕胎の仕事は本当は断りたかったという青坂さん。これまで多くを語りませんでしたが、90を過ぎた今、これ私の役目と重い口を開いてくれました。
「私達は仕事だからあれだけど、やっぱり引き揚げた人達は強姦されてね、辛い思いして帰ってきた人が、やっぱり故郷にも帰られんで海に飛び込んで死んだ人もおるんですよ。
だけども上陸してね、療養所に運ばれてきた人にね、1日も早く体をきれいにしてね、故郷に帰してあげたい。やっぱり身奇麗になった人達はね、もう喜んでね・・・病院から振り向かずに帰って行ったんですよ。お産もね、臨月に足らない人堕すんだからやっぱり大変だったです。当時は道具もあまりないしね。」
麻酔なしの手術にみな声も出さず耐えていた。
赤ん坊の泣き声を聞くと母性本能が目覚めるので、声を聞かせないよう幼い命を始末したが、バケツの中で息を吹き返し、泣き声を上げることもあった。
しかしソ連兵に捕らえられ引き揚げは途中で断念。ソ連軍の監視下にある収容所での生活が始まりました。その収容所でも・・
「マダムダワイって言って入ってくるんですよ、、犯されないように用意をしているんですけど収容所の中にバッと冷たい空気が走ってお姉ちゃん達は奥に走るし、みんなで知らないふりをして庇いながら奥に行って奥の畳を一枚はいでお姉ちゃん達は床下に隠れるわけです。」
収容所の生活は性暴力のみならず飢えや病気寒さとの戦いでもありました。
山本さんの母・ふみさんは当時身重でした。その上、収容所の環境は劣悪で疫病が流行り始めます。何よりも食糧不足が深刻でした。
当時8歳の山本さんはソ連兵の宿舎に潜り込み、ごみ箱からじゃが芋の皮を拾い集め、下水溝から流れ落ちる米粒を拾いなんとか飢えを凌いだのでした。
最初に2歳の弟が亡くなりました。更に母親が死産。その母も3日後に亡くなり子供3人だけが残されたのでした。
「雪の舞う中を、山の、それこそ死者の為に掘られた穴の中に母を葬りに行きました。もうその時はね、涙なんか出ません。当時は本当に極限状態で、弟の時は泣いたんだけど、母の時は泣かなかったなぁと思い出しますねぇ。」
「その頃ってのは内地に辿り着くまではもうあの当時で2歳以下、それから65過ぎ・・ってのは皆死んだよ。食べ物も、病気になっても薬もないしね」
母親が性暴力の被害にあった枌谷さん。敗戦翌年の夏、もう二度目の冬は越せないと一家は町を脱出しました。道端の草や泥鮒を食べ逃げるように大陸を彷徨いました。
数ヵ月後、満州の首都・新京へ。遂に母親が動けなくなってしまったのです。子供達を守る為にソ連兵の言いなりになるしかなかった母。引き揚げる間も少ない食料を5人の子供に分け与え自分は衰弱していきました。
「お袋は着物をたくさん持って逃げたから、それを中国人に物々交換、食料と衣類と・・新京で生き延びたんですよね、でもその時にはお袋は・・新京で栄養失調でなくなったんですよ。・・当時39歳」
枌谷さんは幼い頃の自分を抱いた母の写真を二つに折り畳み、靴底に隠して持ち帰りました。今も母の夢を見ます。しかし元気だった頃ではなく亡くなる直前の姿なのです。
「初めは骨と皮に痩せる・・そしたら次は太るんじゃなくて腹水が溜まるんです。・・・体験っていうのは酷いもんですね。根性まで変えてしまう。だから忘れる為に極力明るく明るく振舞ってきた・・・」.
小林さんは家族に手記を読ませた後、直接自分の口からもう一度伝えました。これでいつの日かこのひ孫にも伝わるだろうと、胸をなでおろしています。
北朝鮮で母親を亡くした山本さん。戦時中母は敵国語である英語を勉強していました。戦争が終わったら世界中を飛び回る事が亡き母の夢でした。
山本さんも同じように英語を学び中学校の英語教師を35年間勤め上げました。いま朝鮮語を勉強しています。いつの日か母が眠る北朝鮮の地に手をあわせに行きたいのです。
「母が色んな夢を持っていたのを分かって来る度に辛い思いをして、どんなにか無念だっただろうと。母だけじゃなくて戦争で亡くなられた方みんながね、本当に夢を断たれどんなにか無念な思い出なくなられただろうと思うと、もう堪らないですねぇ。」
「笑って生きよう」目の前で妻を連れて行かれた父親の教えです。引き揚げの後、父は貧しくも男手一つで枌谷さんを育て上げてくれました。残りの人生も笑って生きたいと枌谷さんは胸を張ります。
この先も語らない人、語らずに亡くなってくなっていく人、きっと大勢いることでしょう。戦争というものが生み出す奥底の悲しみ、その深さを私達はまだ知りません。
以上
このような悲劇は語り継がなければいけないと思います。
こういう悲劇の上に今の日本の平和があり、全ての先人に感謝しなければいけません。
関係者の高齢化が進んでいるので、こういう証言を元にして取材した番組は凄く良いと思いました。
で、少し 気になったのが小林茂さんの証言。やはり朝鮮半島の事情って、相当濃淡があると思いました。
吉田氏「犯されて、連れ去られて、もうモノ言えない、、、涙も出ない、、
『何が起こったの、私?! 私、、、これ何?! これ私?!』っていう様な、、、
それぐらいあの、辛い思いして逃げてきたんだなと、、」
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二日市保養所で治療を受けた引揚者の日本女性に強姦による妊娠をさせた相手の男性は
朝鮮人28人、ソ連人8人、中国人6人、アメリカ人3人、台湾人・フィリピン人各1人という記録があります。
以上
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