福島においては、男児のみならず女児にも、深刻な悩みをもたらしている。
子供たちを救え!
激しい怒りを原稿用紙5枚にぶつけたのは、富岡町の小学校4年生の女児だった。〈毒ガスが来るので〉何も持たずに家族と、福島県内を避難し続けた女児に一本の連絡が届いたのだ。
〈ひいばあちゃんは、大熊の病院で入院していて、なかなかひなんさせてもらえず、ちりょうをうけれず、亡くなってしまいました(略)私は「ひいばあちゃん、ごめんね助けられなくて」とくやしく、みじめな自分に、思いをよせました〉
そして、彼女は原発に対して激しい怒りを抱くのだった。
〈くわしくは私は分からないけど、げん発がばく発して、富岡町に、帰れなくした事がゆるせません〉
そのあと女児は、自分の母親にこんな質問をぶつけたのだという。
「お母さん、私、赤ちゃん産めないの?」
「事故当時18歳以下だった36万人を対象にやった健康調査で、結果がまとまった約25万人のうち甲状腺ガンの疑いがある子供が75人いました。小児性甲状腺ガンは100万人に1人か2人と言われており、明らかに異常な数値なのです」
また、子供たちの被害は、体だけではない。時間がたてばたつほど、心にも強い影響を与えているのだ。森氏は取材を通じて、こんなケースを知ることになった。
「13年の初頭くらいから、『子供がグレた』という相談が母親からありました。不登校も多いですね。避難した子供たちの間でも一時期悪いグループができたようです。
『自分たちが理解されない』という疎外感が『俺たちだけなぜこんな目に』という被害妄想を生み、学校に行かなくなります。人は個性や性格が違うので、メンタルケアも万人には通じません。決定的な解決法はないのです」
避難先で両親がうつ病になり、その影響で子供たちも発症。抗うつ剤を飲んでいる子供もいたという。
大人も子供も東京電力に対して怒りをぶつけるのだが、忘れてはいけないのは、東電に勤務する親を持つ子供の存在である。大熊町の中3女子生徒の父親は、事故当時、原発の緊急対策室で未曾有の事態と戦っていた。
〈もう私の生きている間には戻れません。あの町に帰られる日は来ません。(略)しかし、私は原発の事を恨んでいません。逆に誇りに思っています。あの町をあそこまで支えてくれたのは原発です〉
間もなく原発の再稼働が始まると予想されている。一方で、福島県では地域、人の心、収入格差など、事故被害をきっかけにした分断が進んでいる。前出・山本氏はこう警鐘を鳴らすのだ。
「大きな被害を覆い隠すような小さな分断がどんどん生まれていっています。それが原発事故の本質をズラしてしまっているのです」
震災から1000日たっても、やむことのない子供たちの慟哭に、我々は耳を傾けなければならない。
津波被害とは明らかに性質の違う、福島原発による放射能被害。被災した子供たちの作文からは、一つも進まない復興の現実が読み取れるのだ。
4月1日に、福島第一原発事故後、初めて避難指示区域が解除されることが決定した。岩手、宮城、福島の115人の子供たちの作文集「つなみ」(文藝春秋)の著者で、みずから作文を集めたジャーナリストの森建氏は、福島の被害の特異性をこう語った。
「津波で被災した子供たちは、波を見ていますから、被害がわかります。しかし、福島の子供たちは、放射能という見えないものから避難しているので、逃げている理由を理解できているのか、というのが疑問でした。
まず大人に聞いたのですが、低学年の子供は避難の理由がわからなかったそうです。体に悪いのはわかるようなのですが、それ以上のことはわからないのです。だからこそ、子供たちにはストレスがたまったのだと思いました」
森氏は、事故の翌年1月から福島で作文を集め始めた。会津に避難した楢葉町の小学校1年生(学年は全て当時)の男児は、「かぞくのだいじなおもいでだから」という題で、400字詰め原稿用紙1枚半にわたって、こんな心情をつづっていた。
〈じしんとつなみとげんぱつじこで ならはは、きけんなので、ひなんすることになりました〉
書かれた楢葉町での家族との思い出は、どこにでもある小学生の姿だ。
〈しゃしんは、なくなったけど、ぼくは、ちゃんとおぼえています(略)ぼくは、じしんとつなみで、たすかった一つのいのちをだいじにしたいです〉
原発事故は、わずか6歳の子供から故郷を奪う形で「家族」と「命」の大切さを実感させているのだ。
家族が酪農業を営んでいた楢葉町の小学校4年生の男児は「今、思うこと」という題でこんなことを書いている。
〈ぼくもおじいちゃんも牛が大好きでした。だからこれからも牛とずっといっしょにくらしていけるんだなぁと思っていました。〉
児童には一時帰宅許可が下りず、家がどうなっているのかもわからない。そして作文はこう閉じられていくのだった。
〈ぼくの家族だった大好きな牛はいなくなってしまったけれどぼくは元気に会津で生活しています。流された牛の分も、ぼくはがんばっていきたいです〉
しかし、震災は子供たちから「頑張る」気持ちを奪い続けている。前出・森氏が語る。
「努力や頑張りは、今やれば明日は必ず開けるという気持ちが支えます。ところが一瞬にして破壊をもたらす震災は『頑張っても帳消しですよ』という現実を突きつけました。子供たちに、『やったところでどうにもならない』という決定的な絶望を植え付けた可能性があります」
東電のもう1人の超A級戦犯は、00年から02年まで東電社長で、事故当時は顧問だった南直哉氏(78)。電力自由化を図り、世界一高い電力料金を引き下げようという動きが、かつて旧通産省にはあった。
政界人脈などを駆使してこれを全力で潰し、地域独占企業を維持し続け、そしてあの悲惨な大事故が勃発した。いわば、東電の傲慢体質を守り、事故に至らしめた陰の大悪人である。
その後、原発に関するデータ改竄・隠蔽問題で辞任し、現在はフジテレビや産経新聞を束ねるフジ・メディア・ホールディングスの監査役となった。
「泥棒に警察をやらせているようなもの」として、毎年の株主総会で辞任要求が出ているが、居座り続けている。
「産経新聞にはいまだに『新幹線と同じ、災害に強い原発は可能』などという原発擁護の記事が載る。どこの新幹線が、処理しようのない使用済み核燃料を出すというのか。
フジと東京電力との異常な癒着体制を改めるさせるよう、今年に入って私たち有志で総務省に要請に行きました。が、その権限はないというにべもない答えでしたね」
事故当時、官邸に詰めていたのが、当時の原子力安全委員会委員長・班目春樹氏だった。彼が「爆発はない」と断言した3月12日、爆発は起きた。
原発を推し進める過程でも、完璧な原発はできないからどこかで「割り切る」必要がある、と強調していた班目氏。割り切りの結果が福島原発事故である。
彼は12年に委員長を退任すると、その年に「証言 班目春樹」(新潮社)が出版された。「原子力安全・保安院が逃げてしまった」「文科省からSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報隠しの責任を押しつけられた」と弁明が続く内容だ。
東京大学名誉教授の肩書となった班目氏は昨年、国内やカナダで何度も講演を行った。「原子力に関わる若手に望むこと」と題する内容は、ほとんど事故当時のことだ。講演を聞いた学生は、
「福島原発に向かうヘリの中で菅総理(当時)から『原子力に詳しい東工大の先生はいるか』と尋ねられた話を出したりする。東工大出身の菅さんが、非常時にも学閥にこだわっていることを揶揄していて、笑ってしまいました。政治家や官僚を攻撃する語り口も巧妙で、つい引き込まれてしまいます」
と言うが、「専門家は自分だけ」「質問など許されない緊迫した雰囲気」「情報は入らない」「チェルノブイリのようになるのか? など、政治家からひっきりなしに答えにくい質問がされる」‥‥などと、当時の状況を得意気に語りつつ、科学者はどうあるべきかを論じているのだ。まさに反省の色なしと言えよう。
あまり指摘されていないが、安倍晋三総理(59)も、原発事故に直接の責任を負っている。第1次安倍内閣であった06年12月、共産党・吉井英勝衆院議員から、地震による原発事故の危険性を指摘する質問主意書が提出された。津波による影響や送電鉄塔の倒壊など、福島原発事故をそのまま予測する内容であった。
しかし、安倍総理は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はない」として、何の対処も講じなかったのだ。
今、福島原発からは汚染水が漏れ続けている。安倍総理はIOC総会で「汚染水は0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」と言った。だが、そのあと、福島原発を視察した際、小野明所長に「例の0.3平方キロってどこ?」と聞いている。こんな人物が原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、再稼働をもくろんでいるのだ。
第1次安倍内閣で経産相として原発を推進していたのが、甘利明内閣府特命担当相(64)である。
事故後の11年6月、甘利氏はテレビ東京の「週刊ニュース通信」に出演。「原発事故は自公政権時代の安全対策に問題があったのでは?」との田勢康弘キャスターの問いに、答えに窮した甘利氏はなんとその場から逃げてしまい、「この映像は放送するな」と要求。カメラは主のいなくなった椅子を映していた。
その後、甘利氏は放送を続けたテレビ東京を名誉毀損で訴えたが、東京地裁は「不適切な質問方法があったとは認められない」とする判決を下している。
浜岡原発が停止した際、「このまま原発が止まっていくと、日本経済は壊滅する」と言った甘利氏。全原発が停止した今も、同じことを言えるだろうか。
「原発は安全」と言い続けた御用学者の罪も大きい。
「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と断言して原発の安全性を語っていたのが、東大・大橋弘忠教授だ。
原発事故後にこの放言が問題となると、同じく東大の児玉龍彦教授が「プルトニウムを飲んでも大丈夫などと言った者がいるが、とんでもない!」と憤った。
大橋氏は12年、自身のウェブサイトにこう書いた。
〈プルトニウムは水に溶けにくいので、仮に人体に入っても外に出て行く、と述べたのが、それならプルトニウムは飲めるのか、飲んでみろ、となっているらしい。文脈を考えれば分かるのに、今時小学生でもこんな議論はしないだろう〉
実際には、プルトニウムは鼻から吸入した時に恐るべき毒性を発揮する。大橋氏の言い分はまったくの詭弁だ。
実はこの文章、今は跡形もなく消えている。大橋研究室のサイトを見ると、研究内容は経済物理・金融情報学、ソーシャルメディアの分析などとあり、原子力の「げ」の字もない。
そもそも大橋氏の専攻はシステム創成学で、実は原子力の門外漢であり、もともと東京電力の社員である。生っ粋の御用学者として、何もわからないはずの原発を安全だと言いふらしてきたのだ。大橋氏は現在、北陸電力の原子力安全信頼会議の7人のメンバーの一人である。
「プルトニウムは飲んでも大丈夫と言っていた大橋教授がメンバーで、原発の安全が保てるんですか?」
そう北陸電力に質すと、
「社外有識者の多角的なご意見をいただくためです」
との回答だった。福島の人々に災厄を押しつけ、いまだに原発の甘い蜜にたかってぬくぬくと生きる超A級戦犯たち。こんなヤカラの「逃げ切り」を許してはならない。
怒号の真実を聞いて、貴方は悶絶・絶叫する!
暴走する福島第一原発の真実の現状!」
「放射能汚染の真実!」
被ばくにより、貴方や、地域社会に起こっている異変!
「海洋に放流される恐怖のトリチュウム!」
陸海岸は、3.11で1m沈下したが現在は元に戻っています!
三陸の地底では、いったい何が起こっているのか?
迫りくる大地震と、放射能対策を貴方に教えます!
もう残された時間が、私たちにはあまりない!!
緊急参加!!
特別講師に、放射能測定センター
理事長 時田孝二
日時:2015年4月25日(土)
12時50分 開場 13時20分スタート 17時終了
セミナー終了後・別室にて特別面談を開催!!
質問は、一人一問とします!!
場所:T's渋谷アジアビル
東京都渋谷区神南1丁目12-16 会議室501
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真実放射線量測定希望者は、サンプルを会場に持参してください!セミナー参加者に、超ハイテクライトを緊急時につき定価¥1,000円で販売します!底部に水をつけますと、点灯し500時間後に消えます!災害時は、必ず停電しますので、一家に一つは必携です!
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