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福島第一原発の放射能は、深く静かに国民を蝕んでいます!

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福島第一原発の放射能は、深く静かに国民を蝕んでいます! フクシマ後に急増する川崎病−放射能被曝も一因か 川崎病、罹患率最高に
 主に乳幼児がかかる原因不明の病気「川崎病」の4歳以下の罹患率(人口10万人当たりの患者発生率)が2012年に264・8人となり、1970年の全国調査開始以来最高となった。日本川崎病研究センター(東京)がまとめた。
 新たな患者は1万3917人で、58%が男児。患者の発生は1月に多かったという。
 川崎病は全身の血管に炎症が起こり、発熱や結膜の充血などの症状が現れる。後遺症として心臓の冠動脈にこぶが残り、心筋梗塞などを引き起こすことがある。原因不明だが、感染症との関連が疑われている。最近では1986年に全国規模の流行があり、いったん減少したが、90年代半ばから再び増加傾向にある。

 良く聞く川崎病。一体どのような病気なのでしょうか。川崎市で多かったからではなく、この疾患群を最初に報告した川崎富作氏の名前に由来しています。

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頸部のリンパ節の腫脹、目の充血、手足口病、発熱・・震災後から非常に耳にする症状です。この疾患は病状を聞いても、なかなかピンとくることがなく(苺状舌などのキーワードが入っていれば別)、国試の勉強の時には随分と悩まされました。たとえばこんな感じ 

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11か月の男児。発熱と発疹とを主訴として来院した。5日前から発熱を認め,2日前から右頸部が腫脹して痛がり,昨日,躯幹の発疹に気付いた。体温39.2℃。全身に紅斑を認め,手背と足背とは浮腫状に腫脹している。右頸部リンパ節は母指頭大に腫脹し,圧痛がある。両側眼球結膜は充血し,口唇に発赤と腫脹とを認める。胸腹部には特に異常所見を認めない。赤沈68mm/1時間。赤血球320万,Hb 10.4g/dl,Ht 31%,白血球18500(桿状核好中球18%,分葉核好中球46%,好酸球2%,単球6%,リンパ球28%),血小板32万。CRP13.5 mg/dl(正常0.3以下)。

 国試で一番大事なのは最初の一般症状、全身症状です。このような訴えを良く聞きませんか?

では、この川崎病、何がどこまでわかっているのでしょうか。

川崎病の今後−疫学と原因究明
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1982年と1986年にピーク。1986年と言えば、チェルノブイリがあった年。
川崎病の全国疫学調査成績
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 チェルノブイリがあったのは1986年4月ですから、病気の発症がやや早い印象は受けます。

 第一次流行(1979年)の実態を詳しく見ていくと、いろいろなことがわかります。一月から七月にかけて明らかに異常発生が起きている。九州、四国、中国、近畿までが三月をピークに患者の増加を見せました。ちなみに9歳以下の子どもの人口10万人当たりの罹患率(三月)は、九州が57.2、中国が82.5、四国120.1、近畿54.2です。不思議なことに、北陸だけは32.5と低く、ピークはありません。
 さらに東日本の各地域でピークを見てみると、興味深い傾向がはっきり浮かび上がります。具体的には、関東・甲信越ではピークが四月、東北地方は五月、北海道になると6月とピークの時期が時間とともに北上したのです。これはまるで桜前線と同様、北上する動きです。
 僕は爆発的な流行を見せた四国の愛媛県へ調べに出かけました。松山日赤と、愛媛県立衛生研究所の医師らが積極的に協力してくれました。川崎病患者の発生は地域的にまず東予に始まり、中予へうつったあとで、南予へ移動していたことがわかりました。これはインフルエンザの流行パターンとおなじだったのです。これらのデータから、研究班では「川崎病は、ウイルスかバクテリアやその他何らかの病原体による感染症と考えざるを得ない」という結論に達します。しかし、患者ののどや血液などを調べても、どこからも病原体なるものはいっこうに見つからなかったのです。

 三年後、未曾有の大流行を経験することになります。1982年の患者数はなんと15,519人に上りました。各地で大病院の小児科病棟が川崎病の患者であふれ、病院によっては老化にベッドを持ち込んで収容するほどです。(中略)
 ただ、この年の流行では前回のようなピークの北上という動きはなかった。むしろ、全国各地でばらばらに流行が始まったのです。もちろん、山形から岩手へという具合に、隣接した地域間で徐々に流行の動きが見られるなど、各地域での伝播は明らかでした。流行の始まりは前年の12月からで、翌年5月にピークを迎え、7月には収束しています。

 こうした動きに厚生省の研究班は、「過去2回の流行から、川崎病は3年周期で流行を繰り返すのではないか」として、1984年1月、流行を監視する「サーベランス」活動をスタートさせました。我々の予測では1985年の前半に流行があるはずでした。ところが患者はいっこうに発生しない。「3年周期は幻か」と考えていた矢先の11月初旬から、日赤医療センターには川崎病の入院が相次ぎ、瞬く間に満床になりました。僕は「第三次流行だ」と実感しました。
 日赤医療センター小児科の入院患者のデータで見てみると、この一年間の患者層数は930人で、うち川崎病の患者は114人と15.9%です。これが翌1986年の1−3月の三ヶ月間だと、入院患者総数216人、うち川崎病は71人と、実に32.4%を占め、川崎病の患者の割合が倍増しています。首都圏で川崎病の患者がいかに多発したかがわかるわけです。

これほど大規模な疫学調査をしながら、なぜ原因が見つけられないのか。この調査の指揮を執った人物の名前を見て、わたしはピンときました。

川崎病と闘う日々
加倉井氏はとても丁寧に話を聞いてくれました.私は原著やその後の地方会の発表,たくさんのカラー写真を持っていったので,それを広げて説明しました.すると,「疫学調査はされましたか」と聞かれました.私はそんなことは全然考えていませんでした.加倉井氏は,「公衆衛生院の疫学部に重松逸造という方がいます.熱心な先生ですから,ぜひ重松先生に会ってください」と言われました.
 病院に戻り,神前先生に報告したら,すぐに行ってこいと.重松先生に電話をして,その日の 6 時過ぎに伺いました.重松先生は,加倉井氏と同じようにじっと聞いていて,「おもしろそうですな」と言われ,「しかし,いまから昭和45年度の研究費はとても間に合いませんよ.厚生省のこういう研究費はほとんど前の年に決まっています. 1 年遅れ, 2 年遅れのつもりでやったらどうですか」.そう話されたときに,電話が鳴ったのです.重松先生が電話を取って,「ああ,いまここにみえていますよ」と.電話のあと,重松先生は「加倉井君が電話をかけてきたところをみると,彼には研究費の腹づもりがあるに違いない.では,やりましょうか」.
  それからは重松先生の独壇場で,申請書作りに私も何回も通いました.そうしたところ,昭和45年度の厚生省科学参事官室の医療研究助成補助金でトップの200万円がつきました.そしてその年に第 1 回の疫学調査を行ったわけです

川崎病の疫学調査で「重松逸造」の名を聞くとは思いませんでした。
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この人物のやってきたこと
・「環境庁の水俣病調査中間報告「頭髪水銀値は正常」、論議必至。(一九九一年六月二三日付読売新聞)重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害者とチッソの因果関係はないと発表したのです。
・「黒い雨「人体影響認められず」広島県、広島市共同設置の「黒い雨に関する専門家会議」(座長・重松逸造・放射線影響研究所長、十二人)は、十三日、「人体影響を明確に示唆するデータは得られなかった」との調査結果をまとめた。(一九九一年五月一四日付毎日新聞)ここでも重松氏は調査責任者。
・「イタイイタイ病について環境庁の委託で原因を調査していた「イタイイタイ病およびカドミウム中毒に関する総合研究班(会長・重松逸造放射線影響研究所理事長)とし、イ病の発症過程を解明するに至らなかった。イ病では、認定患者百五十人のうち、既に百三十四人が激痛の中で死亡している」(一九八九年四月九日付読売新聞。)
・岡山スモンの記録「スモン研究の思い出。前厚生省スモン調査研究班々長重松逸造。結局は後で原因と判明したキノホルムに到達することができませんでした」重松氏はスモン調査の責任者でありましたが、キノホルムの因果関係はないと発表していたのです。
・九三年一月一三日、岡山県の動燃人形峠事業所が計画している大規模な回収ウラン転換試験の安全性を審査していた「環境放射線専門家会議」(重松逸造委員長)は、ゴーサンを出しました。じつにあらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります。

 そして、チェルノブイリ調査団の団長に選ばれ、(wiki)
1990年4月、IAEAが発足させたチェルノブイリ原発事故をめぐる国際諮問委員会(IAC)の委員長に就任。各国から集められた200人の専門家集団の責任者として、ソ連国内の汚染状況と住民の健康の調査、住民の防護対策の妥当性の検討を目的とする国際チェルノブイリプロジェクト実施にあたった。翌1991年5月、ウィーンのIAEA本部で開かれたプロジェクト報告会において、汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない、むしろ、「ラジオフォビア(放射能恐怖症)」による精神的ストレスの方が問題である、1平方km当り40キュリーという移住基準はもっと上げてもよいが、社会的条件を考えると今のままでしかたないであろう、との報告をまとめ発表した

と恥ずべき報告書を作り上げたにもかかわらず、大物医師として疫学界に君臨し、叙勲まで受けました。この人物が疫学調査に立ったからには、真相が解明されるはずもありません。感染症のように風に乗って流行する。なぜ、放射能が原因の一つとしてあげられなかったのか。この人物を疫学調査のトップに持ってきたからではないのでしょうか。そして、電話で「被曝」との影響が云々されると大変だから、カネをつけるからキミが押さえてくれたまえ と言われた。なんて考えたら、妄想のしすぎでしょうか。

 川崎病と被曝。もう一度考えてみる必要があると思います。

激増している川崎病は被曝症状と似ている   福島第一原発より、噴出する高濃度の放射能は、日本国民どころか世界中の人類の健康体を蝕んでいます!   「醗酵液」を飲んで、当面の被害を回避しましょう! FAX042-361-9202    

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