「小渕裕子劇場」
小渕経産相辞任は安倍内閣にとっては大ダメージでした!
小渕大臣は、首相周辺に「(問題の)調査はしているが、納得のいく説明はできないと思う」と伝えていた。
辞意を固めたのは、調査結果を公表しても野党側の追及を避けられないとの判断があった!
政府高官たちは「ここまでくると難しい感じがする」と語り、所属する額賀派の幹部も「本人のためにも早く辞任した方がいい」と語ったために、党内で「辞任不可避」の見方が広まったことも小渕大臣の進退に大きく影響した。
小渕大臣は、安倍晋三内閣の「女性登用」のシンボルだけに、辞任すれば内閣支持率の急落は避けられない。
野党は「うちわ」問題の松島法相に照準を合わせて辞任を迫っており、まだ疑惑が表面化していない閣僚も複数いる。
安倍首相にとって、閣僚のドミノ辞任から政権が崩壊した第1次内閣の悪夢が再び現実のものとなりつつあるが、その裏には政界の妖怪たちが暗躍していることを忘れてはならない!(笑)
また地元では、
小渕大臣の地元の中之条町の事務所ですが、話を伺ったところ、「何も分からない」「東京に聞いてほしい」という話で、地元では困惑した様子が広がっています。
地元の有権者からは「大臣になってこれからという時に非常に残念だ。今後に期待したい」という声が聞かれる一方で、「説明できないのであれば、辞任もやむを得ない」といった厳しい声も聞かれました。
地元の住民:「下に全部任せっきりでやってしまったから、こうなったのかなと」「女性ですし、同年代ですし、とても頑張っていると思われますし。親近感があったので残念だな」


平成10年7月30日~平成12年4月5日






-第147回国会・施政方針演説」から-
[キッズルーム] 小渕総理の施政方針演説をやさしく解説


小渕内閣の官房長官の談話・発表
国民のために立ち上がり、倒れた国士である!その娘の小渕優子は、権力者たちに潰される運命にあった!
小渕 優子(おぶち ゆうこ)
2010年の小渕優子後援会の収支報告書の作成担当者の一人で、長年、小渕家の秘書を務めた中之条町の折田謙一郎町長がすべての会計をチェックしていたのは自分だとして、午前に辞職願を提出したことが発覚!
群馬県中之条町・折田謙一郎町長の話。
「私が会計責任者です。」
「今後、すべて調査して明らかにいたしますので、代議士自身は何も知りません」
しかし、観劇料の収支が合わない点などについては、今後、調査するとして明言を避けた。彼こそが、小渕裕子の金庫番である!
今回の「小渕裕子劇場」の事の顛末は、こうだ!
父を亡くした小渕優子は、後援会の要請により父親の選挙地盤と秘書を継承したが月日と共に優子自身の秘書を増やしていった。
当然、父親の秘書であった者たちを折田謙一郎町長と相談しながら解雇していったが、折田謙一郎町長の言うがままに父親子飼いの秘書までも後先の事を考えず解雇してしまったのである。
ここに小渕優子の未熟さがあった!
父親、子飼いで折田謙一郎町長も一目置いていた秘書のA氏は、解雇されるとは思っていなかったが、突然の解雇に激怒し復讐を誓い民主党の安住淳の秘書に着任して、小渕優子の極秘情報を安住に渡したのです。
安住 淳 あずみ じゅん


(新党さきがけ→)
(旧民主党→)
民主党(前原グループ) 称号 社会科学士(早稲田大学・1985年) 親族 父・安住重彦(元牡鹿町長) 公式サイト 安住淳オフィシャルホームページ


野田第1次改造内閣
野田第2次改造内閣 任期 2011年9月2日 - 2012年10月1日
さっそく安住淳は、安倍晋三憎しと安倍潰しを画策する石破茂に連絡して「小渕優子」潰しを始めたのである!
石破 茂 いしば しげる


(改革の会→)
(自由改革連合→)
(新進党→)
(無所属→)
自由民主党(額賀派→無派閥) 称号 法学士 親族 祖父・石破市造(大御門村長)
父・石破二朗(鳥取県知事・自治大臣) 公式サイト 石破茂オフィシャルサイト

鳥取1区 当選回数 9回 任期 1986年7月8日 - 現職 議員会館 衆議院第2議員会館515号室




第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣 任期 2002年9月30日 - 2004年9月27
これが今回の小渕優子潰しである!
勿論、現在進行している自由民主党議員たちの不祥事の裏には、小泉純一郎たちが暗躍している!